たまには、「ヨーガ」への独り言。。

Category : 日々修行。。
最近、つくづく思うのは、僕にとってのハタヨーガは「ロゴス」。ラージャヨーガは「イデア」なのだという事です。
ここでのロゴスは「語りうるもの」的扱いで、「イデア」はそれを支える律動や理念、感性としての認識。
その意味では、ハタとかラージャとかという、ヨガ的ゲシュタルトの範疇での線引きでは無く、あくまで、顕在化しているヨガか潜在化したままのヨガかの差異が、僕にとっては大きな問題になっている事。。
ヨガが切っ掛けにはなっていますが、そこから「イデア」へと突き進む、もっと大きな入り口が見えて来ている気がします。

この段階では、アサナに求められるものは「機能の顕在化」であり、通常のノスタルジックはなるべく排除すべきなのだと自分なりの見解があります。でも、一般向きではない事も重々理解しています。
アサナにより、自分が「数字とプラトン立体/幾何学」になりきる事で、「機能のみ顕在化」するだろう事を先達達は知っていたのだと思います。そこにはアイデンティティーはありません。機能のみが顕在化するからです。
この時「心の作用の制御」が体験出来ます。
「心の制御・コントロール」がヨガの目的ではなく「心の作用の制御・コントロール」なのだというところが、大きなみそです。
ヨガはインドやヒンドゥーの専売特許では無く、各神秘思想に深く入り込んでいる。
それに気づくと、アサナは物凄い事を僕らに体験させようとしています。

今の僕にはバッダパドマアーサナは正四面体。ヴィンヤサはフィボナッチ数列と幾何学を描像させてきます。
でも、これが由々しき事態の始まりです。

有る方が、僕を比喩して「ヨガを反転させようとしている奴」と紹介して頂いていますが、まさに僕が目指すのは「ヨガの反転」です。
今の僕を支えてくれる、彼らに心から感謝します。・・・勇気を頂いています。本当にありがとう。。

明日、その方々と名古屋で「高次元会議」が行われます。
2010年は、これ迄の人生で一番、エキサイティングな一年になる事は間違いない!・・そんな気になる年です。
今から楽しみです。

・・・よく、意味の解らない独り言でした。
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Comment

ここに書いてある事は、
難解でちんぷんかんぷんです。

でも、今日中文での先生のお話から
自分の内側を感じるという事が、
もっと精神的な物を感じなければいけないと
焦っていたことから開放されました。
まだ、自分の中で咀嚼できてませんが
何だか穏やかな気持ちになってます。
来年もよろしくお願いいたします。

せんせー!いつもお世話になります。
「通常のノスタルジアの排除」この点が共感できて、先生についていこうと思っているとも言えます。一般的?なヨガはとてもノスタルジックで、どうしても納得できない点が多いんです。これからも哲学を勉強しながら、自分なりに考えていこうと思います。師走に素敵なプレゼント、ありがとうございました。

moguさんへ/seishinです。

今年も一年、お疲れさまでした。
ヨガを信じる対象にする事は比較的簡単です。
それとは別に、ワークとして飽き無い程度に取り組む事も、比較的簡単です。
難しいのは、このどちらでもなく、思い込みも見下しもないまま、淡々と行う事はかなり難しい事です。でも、僕が思うヨガは、ヨガをやっている事さえ全く感じさせない程、当たり前に取り組む事。それがひけらかされているならば、評価されたい訳です。
ヨガは一人で行うものとしてだけ、身じかになって行きます。「犀の角」の如くの比喩ですが・・。
来年もそんなヨガを提案さて頂く事になりますが、よろしくお願い致します。
よいお年をお迎え下さい。

kさんへ/seishinです。

コメントありがとうございます。
kさんがコメント頂けるとは、嬉しいです。
さて・・。
このノスタルジックに関しては、賛否、分かれるところですね。
ただ、もし今後このコンセプトが明確なヨガは、圧倒的な加速力を身に付け、サマディーに向けた取り組みをヨガ以外をも巻き込みながら突き進んでいく事になるはずです。
ヨガも間違いなく二極化します。・・(すでにしていますが。。)『感性と思形』です。
僕のヨガは保守派ヨギには理解されないと思います。でも、それで良いはずです。むしろ、ここが相容れないから等化が進む訳です。
その場合、僕はヨガを名乗らない方がヨガらしいかもしれません。
ノスタルジックに巻き込まれない為にも・・。
トーラス氏をはじめ、多くの方が僕のヨガ理念に共感して頂いているみたいです。
kさんも見届けて下さい。
今後ともよろしくお願い致します。
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