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久々のブログ更新・・。リトリートに向けてのアイデアです。

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今年もリトリートを行いします。
開催日程は08/01(木)&02(金)の一泊二日間です。
ここでは、現在までに確実になったPrimal Rayでのロジックの中での「1」「3」「5」「7」の数字で示されている意識段階を「ψ(プサイ)領域」を中心に解説します。

数字には幾何学的な意味が有ります。
「1」は完全。
「3」は回転。(等化)
「5」は進化。
「7」は超越。

リトリートのクラスでは、この意味が大きなヒントになるはずです。

完全なる「1」から発展したものは、収縮と膨張 ユニットとセパレートを繰り返し、永遠の回転を繰り返します。「1」から「9」そして「13」。それは「9」から「1」に戻る行程でも有ります。
この行程は、「膨張と収縮」と同じ働きに当たります。

 20130628-1


各ステージ領域に対応する「α」「ψ」「Ω」「Φ」のルーティンでの数字にもこの意味が全く対応しています。
今回のリトリートでは「ψ」と「Ω」でのこの働きを解説するのですが、特に「ψ」での働きでは、何を「回転」「進化」「超越」させるのか?

「α領域」で認識した「表相」そしてそれを包み込み、取り巻く「空間」。
それを無限遠点から見下ろす意識は「ψ領域」に存在します。
その存在は、リアリティの外側リアル意識としての存在。
その存在が取り巻く関係性を「回転」させていくことになります。

モノから広がる「膨張と収縮」。そのモノを中心とする回転には二つの方向が有ります。
それは「モノが回る」。そして「モノを回る」。
事実、あるがままに体験してみれば、この二つの回転はどちらがどちらでも一つの体験しか起こっていません。
一般にはこの現象が含んでいる大きな限界に我々は、全く気が付きません。
しかし、ここでの体験が支えているこの「大きな意味」を拠り所に、この体験を理解する事に、じっくりと時間をかけなければならないのです。
この回転から見えるものは、自分が関わる事の出来る関係性と、絶対に関わる事の出来ない関係性です。
我々Primal Rayでは、この関係性を「外在」と「内在」とよびます。

「内在」とは自分自身が関わる事の出来る関係性です。ここでは単純に「前」と定義します。
「外在」とはその逆に自分自身が関わる事が出来ない関係性です。ここでは「後ろ」と定義します。

我々はこの「前」と「後ろ」を単純に三次元的方向として認識していますが、それは支配的なリアリティとしての状況に依存した関係性であり、相互作用として関係している支え合う構造が理解されていません。
つまり、マテリアル(物質)としての方向と、スピリチュアル(意識)としての方向を同じに扱ってしまっています。

この現象が表している意味に気付く事が「最初の反転」ψ3からψ5を獲得する為には絶対のゲシュタルトとなります。
そもそも、我々はこの事象世界に存在している「在り方」をマテリアル側だけの関わりで理解して、そのまま全く疑いもなく、そのゲシュタルトを押し通そうとしています。ここが全くの間違いなのです。

精神性、意識の世界、覚醒、悟り、サマディー・・。どのようにこの先の世界観をアプローチしようが、この現象世界との立ち位置を獲得しないままでは、理解は出来ても、理解を出来ません。

実は理解という現象も、意識下の「回転」です。
つまり。、方向は二つあるのですが、この意味も一般には理解されていないのです。
「理解は出来る」この方向は「受動的」であり受け身です。つまり、Primal Rayで言うところの「融解作用」で、関係す方向です。「理解を出来る」この方向こそ、先手が伴う「能動的」方向である順手の行為に当たっています。
回転方向には、二つの方向がある事を知る。ψ3 (回転)=位置の交換
その回転から「内在」と「外在」を理解し、認める ψ5 (進化)=位置の等化 ψ6=位置の中和
その関わる事の絶対出来ない方向の意味を入れ替え、顕在化した方法論として採用し(等化)新しい回転の先手として行く ψ7 (超越)=位置の変換

位置の変換 ψ7が一般に言われる「真我独尊(真我独存)」に当たります。
しかし、ここの現象や状態は大きく勘違いされています。
人間のノスタルジックが引き起こした「詭弁」なのですが、自我の消滅=真我独尊は間違いないのですが、自我の消滅とは、自我を成り立たせていた関係性を中和し、自我や個我という、受け売りの「自分」の関係性を放棄する姿勢の事を言います。
真我とは、関係性が支えていた「自我」が機能を失い、そもそもこの事象世界に転生し目的を顕在化出来うる状態に戻った存在としての真の自己の源です。

位置の変換を体験してみれば、「自我」「個我」とは、他者の意見を再奥のセルフ(真我)に無理矢理採用させていた事実に気付きます。
それは転生しあるミッションに向かうこれからの意識達には、大した問題では有りません。
むしろ、全く必要の無い歪んだ価値観です。
それを纏ったまま意識を進化させる事など、無理な話です。

我々は明らかに二つの意味で成り立っています。
それは生物的な方向 つまり三次元に依存したマテリアルとしての意味と、精神的で、三次元には全く依存しない、時間も空間も関係のないスピリチュアルとしての意味です。

しかしこの二つは相互作用として一つの「現象」を支えています。
スピリチュアル側を追い求めて行く事でマテリアル側を放棄してはならないのです。
これは絶対的間違いで、融解作用でもあるためその源は「悪」へと繋がっています。
つまり、スピリチュアルを否定して、マテリアルのみを追いかけていた言現代人に根深いゲシュタルト・・物質主義、合理主義、金儲け主義となんら代わり映えしない姿勢なのです。

ψ7=真我独存 二度目の反転。
自我の消滅を目前にした意識状態。
精神論ではなく、ただ有る為にある技術の獲得。

今回のリトリートでは、この当たりの解説をして行く事にないます。

募集を開始しました。
ご希望の方は、メールでお問い合わせ下さい。

「夜明けの晩」に「鶴(女性原理)と亀(男性原理)」が「統べる(等化)」
正にこの段階をにいる我々には、ノスタルジックで凝り固まった精神世界神話は必要有りません。
必要なのは体験を伴う理解と、それを支える勇気と行動です。

リトリートでお待ちしています。

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