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今年もリトリートを終えて・・新しい課題の発見。

Category : 日々修行。。
今年も、毎年夏の恒例行事、鑑真康寿堂さんでの合宿「リトリート」を終える事ができました。
参加して頂いたメンバーの皆さんは本当にお疲れ様でした。

今年で3回目のリトリートですが、今回に限っては、今迄とは全く意味合いの違う内容になりました。
それは、参加したメンバーのほぼ全ての人が「反転」を経験している事実です。

この「反転」という概念を説明する事が大変難しいのですが、経験してみると今迄とは全く違う概念が創出され、同じ判断や選択を行ったとしても、全く違った結果を手にしている自分がいます。
勿論、その行為も意味も本人は十分に解っているし、その行為や行動、選択に全く迷いや不安は有りません。
全てに気が付いている自分が存在し、何の為にこの行為を行おうとしているのか?それによって、どうなる事が最善なのかも解っています。

解り易く言うなら、全ての不安や心配、恐怖や自信の無さを、自ら消していける。不安を消し去り、安心感を手に入れる事が可能な概念を獲得しました。

そんな魔法の様な事が有るのか?
それって悟ったって事?
・・と、思われる方もいるかも知れませんが、ざっくり言えば、まさにそのような感覚です。
つまり、幸せを獲得する技術を手に入れたのです。
しかしそれは、所謂、悟りを得たのではありません。ある意味での覚醒を起こしたのです。
勿論、これで十分な幸せと満足を実感出来ますが、ここからがスタートで、皆それを十分自覚して、この感覚に満足しています。

でも、そこで僕としては、全く新し課題が浮かび上がってきす。それは、何故・・この「反転」を起こせる人と、起こせない人がいるのか?です。
その為、リトリートが終了したその日から、この約三日間、自分の部屋で缶詰になり、猛烈にWORKしています。
その甲斐あって、今回幾つかの大きなヒントを手に入れる事ができました。

それの一つが、今後、我々に求められる知性についてです。
一般に知性とは、頭の善し悪しを計る尺度として、用いいられていますが、実際での応用は、in put側の情報を、適切な場面でout put出来るかが問われるものになっています。
今流行の「○○ゼミナール」の様な、予備校などはここをテクニックに置き換えたスキルとして商材化し、多くの優秀と言われる学生を排出しています。
この設問にはこの反応・・といった、スポーツの様な立ち振る舞いでの回答。合理主義が生んだ受験を対象とした頭の良さです。
この様な学問への姿勢に意義を唱える良識者も多くいるのは事実ですが、僕個人としては、これを否定する気には全くなれません。どんな形であれ勉強に取り組とは、無駄にはならないからです。簡単言えば、しないよりしたほうがいい・・それは当然です。
だからといって、点数が良くない事を攻める風潮こそが問題で、良い大学に受かる為に勉強するといった、本末転倒した合理主義こそ問題だと思います。
本人が何の為に勉強するのかを理解していれば、受験の為と答えたところで十分な先手になっています。
それによって何になり、どうしたいのか?その事を提案し、モデルを提示出来ないのは、受験者本人の問題ではなく、社会構造の問題なので、それに沿って、自らの知性を落とす理由にする事こそ、大問題です。

それはさておき・・。
さらには「IQ」(インテリジェンス・クオリティー)。
これこそが、頭の良さを端的に表す指標として、現代の我々にはお馴染みの知性評価です。
しかし、何を持ってIQが高いかと端的に表す事は、意外に難しいのも事実です。
Primal Rayでは、このIQの高さは、「抽象度+情報量」だと説明しています。
「抽象度」とは、「ようするに。。。」と言うことです。
つまり、自分也の解釈で雑多な物事を括り、まとめ上げれるか。。我々のグループでは、この様な理解を抽象度とよびます。
知性が持った本当の働きとは、一見全く関係のないかの様に見える物事や出来事の間に、共通する法則や秩序を見出し、それらを統合する新しい概念を創出することが出来るかなのです。
さらに、その新しい概念を次々を生み出す為の、分母となる情報量のin putこそが、その概念の基盤になります。
その結果はなんと、扱うタームやグロッサリーは、この作業と共に、集約し、少なくなっていきます。
扱うボキャブラリーの多さが知性の反映かの様に思うのが現代人の大きな誤解です。
概念が集約していけば、扱うタームも集約していきます。
簡単な出来事をだらだらと回りくどく説明する文言より、全ての事象を僅かな単語で解説できることこそ、これからの知性に必要な要素になります。

そして、その先に有るのが、今回のリトリートで紹介した「LI」(リキッド・インテリジェンス)です。
Primal Rayでのロジックは、最終的にここに繋がります。
流動的知性。これは、今いった自ら纏め上げた新しい概念を実際に各事象に対応させ、現象界でこの知性を反映させる事が出来る迄のインテリジェンスです。
最初の反転とは、正にこの「LI」を身に付ける最もベーシックな意識状態なのです。
その結果、有りとあらゆる現象、事象を自らの新し概念で「等化」し、全ての対概念(対化)を一つに結びつける精神の力を手に入れます。

この事は、現代の合理主義が提案するものと方向は同じであっても、意味合いが全く逆なので、一般には上手く理解が出来ません。
それが何故か?
ここに反転できる・・出来ないの大きな分水嶺が隠れています。

本来、意識や心を扱うならば、その反映でもある「物質」への理解が無くてはならないのですが、デカルト以降の合理主義では、物質と意識を完全にセパレートして物事を捉えています。
しかし、デカルトの「哲学原理」の書き出しにはこのような一節がありあます。

いまやわれわれは、それらの原理のみから自然のあらゆる現象を説明しうるかどうか、を吟味しなくてはならない。そしてその際、最も普遍的であって、他のすべての現象がそれに依存しているところの現象から、すなわち、この可視的世界全体の一般的構造から始めなくてはならない。

還元主義の基礎を作ったとされるデカルトも、可視的な世界が最も普遍的だから、まずはこの世界から手を付けようといっているだけの事です。
デカルトのこの一節には科学の存在意義が的確に現れている様に思います。
物質世界を徹底的に分析し、最終的にはその背後でそれを支える、真の実像の有様を解き明かす事。
科学と神秘としての「オカルティズム」とのコンセプトの共有こそが、今迄の科学の限界を押し広げ、記憶と反芻によらない新しい知性の獲得に、我々を進化させるはずなのです。

科学を基盤とした現代の合理主義は、知らない間に、我々に「理性」という規格を押し付けています。
「理性」のみが絶対であるかの様な価値観は、人間中心主義が動機となり、全てを一様に圴一化し、人間のあるべき性能を押し付けてきます。
この「理性」に篩にかけられた善悪は、ある規範をもうけ、結果我々は自らを疎外する側へと自らを追いやっています。
そもそもの人間なら誰しもが持つ「ダークサイド」犯罪性や性欲、欲望や死への恐怖など。
これはことごとく抑圧され、その人の深いペルソナとなって潜在化していきます。
しかし、その抑圧も閾値を超えると、集団的な暴力、マイノリティーとしての鬱積した力。最終的には日本が突き進んだ様な、世界大戦を肯定するイデオロギーなどに姿を変えていきながら、その噴出す火種を探して、爆発を画策します。
その為には、理性以外の全く違う価値観を採用する事で、新たなガス抜きをする必要があるのは確かです。

実は、ここの大きなコンセプトを提案しているのが、「輪廻転生」です。
このコンセプトは十分なガス抜きの役割を果たすビジョンだといえます。

現世の「果」が来世の「因」となる宗教的戒めは、社会倫理での抑制より、実はよっぽど「理性的」なのかも知れません。

しかし、一方では、輪廻転生が、「理性的」であるからこそ逆に、人間の個体性や自我に、あまりに重点を置きすぎるきらいがあるのもたしかです。

本来、輪廻転生をその教義の中に据える数多くの宗教は、個人のカルマを解消し、より崇高な宇宙意識の中に一体化していくことが霊魂の旅の目的だと語っています。
しかし実際に、信者の立場とすれば、そう簡単な話では済まない。
実際の彼らの興味は、崇高な宇宙意識との一体化ではなく、現世の、否、たった今の苦しみや痛みから、一刻も早く救われたい、その一点に絞られている場合が多いのです。
極論すれば、崇高なる者の存在など二の次で、どんな形であれ、自分の苦しみが軽減され、緩和すればそれでいい。結果、このこのような欲求は、現世を顧みることなく、輪廻転生のイメージそのものを格好の現実逃避の材料として利用してしまっています。
なぜ、こんなに輪廻転生が、その人のパーソナルな空間に落ち込んでしまったのか?
ここに、反転を遅らせる原因がありました。
それは、霊魂に対するイメージの誤解です。

人間はたとえ死んでも自我の檻からは解放されず、異次元の空間をさまよい続ける・・。
霊魂という堅い殻の中に閉じ込められた個体の情念。
このような「個」への執着と輪廻転生の原点になる魂のイメージはある意味全く同じ世界観によって支えられています。
その意味で、輪廻転生は決して神秘的なものではなく、あくまで近代合理主義が自我として生み出した産物と見なした方がいいようです。
皮肉にも、輪廻転生を耽溺すればするほど、人々は真の魂のビジョンから離れてしまします。

つまり、反転する為には、このような近代合理主義に対して慣れてしまった自らの信念を捨てて、神も輪廻転生も霊魂も、まずは疑ってみなくてはならないのです。

結果、反転出来ない人は、「信じてしまう」のです。
その瞬間、概念は理性の篩を自らに課してしまう。
「それはわかる」と「それをわかる」の大きな違いは、「信じたか」または「試したか」。
つまり、自らの判断で採用したか?・・ここの違いだけです。

輪廻転生、霊魂、神・・この様な得体の知れない存在を自ら判断する為の知性が、我々の提案する「LI」に盛り込まれたものです。
それを手にする前に、それらを信じてしまえば、合理主義である「理性」に対して向かい合う事になってしい、結果、そこには、スピリチュアルな姿勢とは全くかけ離れた分化や対概念しか現れてこなくなってしまいます。

ここをいかに、ロジックに換えるのか・・・。
新しいミッションが発生しました。

全く終わりが見えませんが、今回のリトリートでは、大きな何かを超えようとしている、自分がいます。
有意義ですが、帰ってからも・・大変有意義でした。

また、この辺りはクラスでシェアします。
皆さん、本当にありがとうございました。
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Comment

止まりかけてたものが動き出しました

十分な先手 とは確かに言いえて妙。

進化と精神は今は遠回りしてるけど目指してるとこは同じですね。
見ようと思えば見えるものを見る練習や、
見ようと思っても見えないものを感じる練習は必要ですね。

10日前に半ば強制的に反転させられた(笑)ので、
やや不足していた情報量を上げるきっかけにしたいと思いす。

歯車が繋がったコミュニティーでは、どこかが動き出した情報は
順に伝わるのではなく、動き出した瞬間に最後まで伝わる。
静止した状態から動き出す瞬間を考えれば、大きさや型や違ってたり
回転スピードや早さに差はあれど「動くぞ」というアクションは
全部の歯車が同時(ほぼ)に感じる。

関わるコミュニティーを換えるってシフトチェンジしながら
ドライブしている感覚に近いものがありますね。
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