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□「瞑想」について。

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こんにちは・・ 
Seishinです。
先日”ミニマリスト”に関して記事を書きました。
あの感じが伝われば、今回の記事に関しても伝わるのでは?なかろーか?と・・。
瞑想は意識の断捨離。・・そんなお話です。
ここで前回の”ミニマリスト”の話が絡みます。
”ミニマリストは物が無いことではない。
一つの最高に至っただけです。”
もし瞑想がこれと同じなら・・。
”瞑想とは思考を止めることではありません。
思考に思考を重ねて、一つの意志にたどり着いた結果です。”
・・となります。
ここに誤解を与えてしまうから、ハタヨーガの実践はとても大切なんですね。。。ここに関して、後半に譲るとして。
瞑想というと、日本では「禅」という事になると思います。
日本仏教が中国に学び作り上げた技術です。
道元さんや栄西さんが有名ですが、そのゴールは「無」です。
かたや、釈迦が目指したゴールは「空」です。
「無」とは、ある物が無いだけで、Primal Rayでいう対化で言えば、「有」と「無」の関係の片側から、見ているだけで、立ち位置をかえただけなので解決していません。
それと「空」とは全く意味が違います。
「空」とは実数×0・・または虚数×0です。
小学生でもわかる答え・・答えは「0」です。
はい。この違い。。
「空」とは0
「無」とは実数(+)側から見た虚数(-)。
または虚数(-)から見た実数(+)で、有るか無いかの二項対立(対化)です。
現代のヨーガブームでは、アシュタンガヨーガをやり・・「禅」をして、すべてが分かり易い、やる為だけのやり方が重要になっています。
これは実数と虚数をいったりきたりしているだけで、延々の堂々巡りです。
Primal Rayでのヨーガとは、アサナは『サマーナ気』を利用する技術。
瞑想は『ウダーナ気』を利用する技術です。
体を通せばすぐにわかる。。
サマーナ気を扱うには、相対(対化の二乗)が必要で、その反映としてウダーナ気を扱えます。
ウダーナ気こそ、瞑想で扱えるべきものです。
これを簡単に説明するなら、瞑想する為には、サマーナを身につける必要がある。・・そのためには、激しい相対に取り組まなければならない・・。という事です。
神智学やシュターナーがいう「火の試練」ですね。
その向こうにウダーナが有ります。
アサナでサマーナに取り組めれば、反映のウダーナが身につきやすい。
これがヒントです。
なぜヨーガスートラの千年後のハタヨーガ・プラディービカー(ハタヨーガスートラ)が必要だったのか?
瞑想は「無」になることだ!という誤解の為ともいえる。
瞑想は「空」です。
でも、現代の我々と同じく、知識と理解が思考で納得できる範囲で取り組めば、「何もしない」ことこそ禅的ゴールになりますが、瞑想はウダーナ「空」がゴールなので、「散々やりまくる結果、一つの意志にたどり着く」状態を必要とします。
何も無く見えるのですが、「空」と「無」では全く結果が違います。
ラマナ・マハリシはここを見事に説明します。
「あるがままに」
これは何もしない事ではありません。
さんざん葛藤している様も「あるがまま」にしておく必要をいっています。
Primal Rayが説明する「等化」から「中和」です。
等化=サマーナ
中和=ウダーナ
散々アサナをして、散々「禅」もして、なんにもならないという実感がのこったなら、そのやり方では無理だと気づけるはずです。
これに気づいたのなら、それは最高のご褒美!
その人はそれを気づく為に、そのプロセスが必要だっただけです。
そこに引き入れたのがウダーナなのですが、その人達は、次の違うやり方・・または「師」を探して回ります。
そしてまた対化にもどり、同じ堂々巡りに入り込む。。六道輪廻です。
そうそう、六道輪廻の図は死後の世界を表現なんかしてません。
意識の有る人、生きてる人、魂のある人達の出口のない六段階の迷走ぶりを表してますから。。
はい。・・アサナと禅。
本屋に平積みされた自己啓発本のスピンオフみたいなヨーガで、その本質に触れれる訳がないは、誰もが承知でしょ?(^^)
今回も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
次回の更新もよろしくお願いいたします。
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